北          朝          鮮

 

 日本から近くて遠い北朝鮮であるが、日本から観光で行くことができる。申し込んだツアー会社はもうないが、他の旅行社で取り扱っている。リピーターが多いのが特徴である。


1日目・・・
 北京から飛行機で入った。チェックインは中国国際航空のカウ
ンターで行い出国、そしてボーディングを待った。
 出発は12時30分、ほぼ時間どおりだったが機内で1時間ほど
待たされた。VIPを待っていたようである。
 ようやく出発してピョンヤンへ向かっうことになった。機材は「イ
リューシン62」、ソ連の古い機材だった。エンジンのそばの席だ
ったので、「キーン」というエンジンの音が響いた。よく飛んでるな
あ・・・と思った。
 機内はほぼ満席であった。ワールドカップ予選の北朝鮮対イラ
ンの試合を前に、記者やスタッフが多かったからかもしれない。
機内食はけっこうボリュームがあった。ピョンヤンビールといっし
ょに食べた。味はまあまあであった。
 そして飛行機はピョンヤンへ到着した。
 入国には時間がかかったが、前日中国で取得していたので、
ビザはあるしそんなに不安はなかった。
 そのあといよいよガイドさんと出会った。ガイドは2人、ドライバ
ーは1人。VIP扱いであった!(しかし、ガイドというよりは監視人
みたいな感じであった・・・)
 最初はのんびりした田舎道だったけど、しだいに交通量が多くなってピョンヤンの町へ入った。まず、凱旋門に案内された。けっこう大きかった。他国には負けないという意思の表れだと感じた。周りにはトロリーバスが走っていた。
 そのあとホテルへ向かった。ホテルの名前は「羊角島ホテル」である。中州にある大きなホテルである。(ということは、入る道は1本しかなく・・・軟禁状態みたいなものであった。もっともピョンヤンは自由に行動はできないが・・・)
 チェックインをして休憩をして夕食を食べに行った。街中のレストランで「すき焼き」風の料理だった。途中で停電になったけどおいしかったしよかった。
 そして1日目が終わった。

2日目・・・
朝食はレストランでとった。ビュッフェタイプではなく1人1膳といった感じだった。日本のテレビ局や新聞社の人が多く何人かとしゃべりながら過ごした。(でも、そのあとは別のレストランばかりだった・・・たぶん離されたのだろう・・・)
 ホテルを出るといよいよピョンヤン観光をスタートした。(さっきの人たちがマイクロバスに乗って出発していた。こっちを見て驚いていた。)
 まずは地下鉄に乗車した。「光復駅」と「建国駅」の1駅間だけど駅に案内された。ソ連型の駅で、ホームまではとても深く核シェルターにもなりそうだった。ホームは明るく車内は暗めだった。たぶん他の駅は暗いと思った。見せれるところは鮮やかにといったかんじかもしれない。写真はどんどん撮った。ガイドさんが「どうぞ。」と言うのと、ガイドさんに守られているといった感じだからである。
 地下鉄を降りると次は「万寿台の丘」へ行った。金日成の大きな像に花をそなえるのである。(これは観光客は必ずやっているようである。)
 次に、金日成広場へ行き、朝鮮中央歴史博物館や人民大学習堂へ入った。全部通訳してくれるからとてもよくわかった。このあと「妙香山」へ向かう予定だったが、高速道路が壊れてて行けないと言われた。たくさん文句を言ったがどうしようもなかった。 そこで、サッカーの「北朝鮮対イラン」を見ることになったのである。席は外国人席だった。その他は人民服を着た人ばかりでいっしょに応援をするといった雰囲気ではなかった。試合の方はテレビやマスコミで話題になったとおりだった。試合後の暴動も見たけど、ガイドさんにすぐ出るように言われて金日成スタジアムをさっと出て行った。(このあともすごかったようである。日本に帰ってニュースを見てそう思った。)
 サッカー観戦をしたあと、高速道路を走って海岸の町ナムポへ向かった。ナムポの先に温泉があってそこに泊めてくれるということになったからである。郊外の田舎道をしばらく走った。すると門があって温泉地に到着した。
 どうも共産党幹部の別荘かVIP用の施設かもしれないが、外国人旅行者に開放し始めたようである。夕食を食べて温泉に入ってゆっくり休んだ。

3日目・・・
ナムポの温泉郷は日本の統治時代にできたといわれていた。温泉にもう一回つかって朝食を食べて温泉郷を出た。
 朝食は「はまぐりのガソリン焼き」に挑戦した。けっこうガソリンくさいと思ったがそんなことはなかった。1500円くらい払って大量のはまぐりであった。ガソリンは焼酎を飲むことで中和すると言われた。そのせいか体も大丈夫であった。
 最初にナムポの近くにある大きなダムを見に行った。よくニュースのバックに見えている風景が広がっていた。ダムを見た後はナムポを通ってピョンヤンに戻った。
 ピョンヤンに入る前に検問があった。こっちはガイドさんが二人もいるし(金日成バッジもしているし)何事もなく済んだ。もし個人でこっそり行っても無理ということである。
 市街地に入る前に主席の生家がある万景台に行った。説明をしてくれてあらためて金日成のすごさがわかった。
 そのあとピョンヤン冷麺を食べに行った。けっこうコシがあっておいしかった。北朝鮮の料理はメインとは別にいろいろなものがつくのでけっこうお腹いっぱいになった。
 昼食のあと軍事博物館へ行きいろんな展示物を見た。とくにアメリカ軍のヘリなどを撃墜したところなどはは誇らしげに説明していた。
次にチュチェ思想塔へ上った。ここでは1000円払って入場した。塔のてっぺんの見晴らしはよかった。泊まっている「羊角島ホテル」もしっかり見えた。
 最後にプエブロ号(アメリカのスパイ船)を見に行ってホテルへ戻った。
二日ぶりの部屋に戻ってゆっくり休んだ。ちなみに、ホテルではNHKの衛星放送を見ることができた。ということは、日本の情報もどんどん入っているということではないだろうか。ガイドさんに聞いてみたけどはぐらかされた。もちろんおなじみの朝鮮放送も見れた。

4日目・・・
この日は「板門店」へ向かう日である。朝食を食べて出発といいたかったのだが全然食べられなかった。北朝鮮では健康のため「油」を使わないんだと言っていたが、油が消化・吸収を助けてくれず食べられなくなてしまったのである。
 車は市街地をぬけて一路「ケソン」へ向かった。高速道路を走るのだが対向車はほとんどなかった。途中で休憩所があったがここにもほとんど車が停まっていなかった。
 さらに驚いたのは「トンネル」である。電気がついてないので入ったとたん真っ暗になった。視界が狭まりけっこう怖かった。
 そうこう走っているうちにケソンへ到着した。しかし、そのまま走って非武装地帯へ向かった。
 韓国と違うのは、国連軍もいないし何かあったときの誓約書を書かなくていいことであった。それと緊張感がないことであった。
韓国との対談の場を見学して、いよいよ板門店へ到着した。
 韓国のツアーのときと正反対の光景である。こっちを双眼鏡で眺めたり写真を撮っている韓国の憲兵がいた。そして、韓国側から入った建物を今度は北朝鮮側から入ったのである。
 つまり直接ではないけど板門店を通過するという数少ない経験ができたのである。
 板門店を出た後はケソンに戻って昼食をとった。食事は宮廷料理だけどもう全然食べられなかった。そのあと高麗博物館や南大門を見学してピョンヤンへ戻った。
 平壌には夕方に着いて「サーカス」を見に行った。ここで西洋人のツアー客に出会った。サーカスはけっこう見どころがあった。特に「空中ブランコ」は世界でもトップクラスのショーであった。日本で見れない高度な技をたくさん見ることができた。
 サーカスのあとは夕食になった。アヒルの焼肉だったが油があるためかけっこうおいしかった。少しだけどお腹に入ったよ。さらにさっきの西洋人のツアー客といっしょになった。(席は違ったが大勢で観光していた。)
 そしてホテルに戻りゆっくりした。せっかくなので売店でビールを買ってガイドさんたちと飲んだ。1本0.5ユーロ。安かった。そしていろんな話をして夜も更けていった。

5日目・・・
とうとう最終日になった。列車が発車するまで時間があったので、まず土産屋に連れて行ってもらった。しかし、地元の店ではなく外国人専用の店だった。カンパンみたいなおかしを買って土産にした。味はパサパサだったが、北朝鮮お土産という意味で周りの反応はおもしろかった。
 そのあとピョンヤン駅まで歩きたいと言ったら歩かせてくれた。といってもいつも通っている大通りであるが。最初は見るものすべてが新鮮に見えたのだが、何日かたつと同じ道ばかり通っていたことがわかった。それで違う道を行きたいと言うと、何かしらの理由を言って通らせてくれなかった
 駅までの通りで「大阪市バス」のお古が走っているのを見つけた。日本ではもう使わない物を外国できちんと使っているのは見習わないといけないと思った。
 そうこうしている間にピョンヤン駅に着いた。ホームはけっこう広く乗客も多かった。
 ぼくが乗った車両は「モスクワ行き」だった。「ボストーク号」って書いてあった。どうやら中国に入り、瀋陽で北京発モスクワ行きの列車につながるようである。乗った車両は、ベッドが二つだけの「ソフトクラス」だった。車掌さんはもちろんロシア人だった。これから1週間以上の長旅をするのであろう。この部屋の乗客は1人だけだった。
 そして出発。定刻に列車はピョンヤンを離れていった。
 車窓はけっこうのんびりしていてよかった。でももうガイドさんもいないし、他の車両には金日成のバッジをつけた人がいるのであまり写真をとれなかった。食堂車もあったけど食欲がなくなっているからあきらめた。
 ちなみに食堂車の向こう側の車両は国内用(たぶん新義州まで)の車両だった。つまり、食堂車をはさんで、国内列車と国際列車を分けていたのであろう。もっとも向こうへ行ける雰囲気ではなく、行こうとしたら止められそうだった。
 車両の窓が開くのがわかると何枚か写真を撮った。
 夕方になり列車は国境の駅、「新義州」に着いた。出国審査はけっこう厳しかった。ぼくは大丈夫だったが荷物や車両のチェックは細かいところまでやっていた。約2時間は止まっていたと思う。
 ようやく列車は出発した。そして、国境の川「鴨緑江」を渡って中国の「丹東」に入った。
 こうして5日間の北朝鮮の旅は終わったのである。