国 境 越 え ( ガ イ ア ナ → ス リ ナ ム )

 個人的に国境という言葉に魅力を感じる。国境は日本では味わえないからである。日本は島国なので国境は海の上にある。つまり、飛行機や船でいつしか国境を越えているのである。国境には、いつの間にか通過できるところ、出入国をして通るところ、そして、緩衝地帯があってそこを通過して出入国するところといろいろある。国境で文化や言語が変わるのも魅力の一つである。


 この国境は、船を利用する。しかし、1日1往復であり、
出発時刻も午前11時。そのためか、この国境を通った方々
の旅行記には、早朝出発が望ましいと書いてある。私がジョ
ージタウンで得た情報は、この時刻と、国境までのミニバス
のナンバーが57番ということくらいであった。

 早朝のジョージタウン。市庁舎周辺にあるミニバスの乗り
場には、ミニバスはほとんど停まっていない。待つこと20
分。「メルソンクリーク」行き57番のミニバスが来た。ミ
ニバスは、満員にならないと出発しない。お客は少しずつ集
まってきた。さらに待つこと20分。そして午前5時、ミニ
バスはジョージタウンを出発した。道路状況はかなりいい。
国境までは約4時間とのこと。これなら、国境の船には十分
間に合う。もう少し、遅い時間でもよかったのではと思った。
しかし、早朝出発の判断が正しかったことを、後で知ること
となった。

 2時間ほど走ると、フェリー乗り場に着いた。もう国境か
と思ったがそうではなかった。大きな川を渡るためのフェリ
ーに乗るためであった。出発時刻は、7時35分。その後は
というと・・・なるほど、国境の船には乗れないわけである。ミニバスごと船に乗り込み、船は大きな川を渡った。た
しかにこの上流といえば「ギアナ高地」をはじめとしたジャングルがある。一本の橋をかけることは難しいだろう。ま
してや、交通量が少ないとなればなおさらである。

 対岸に渡ると、「ニューアムステルダム」の町に入った。しかし、このバスは街中へは入らず、そのままメルソンク
リークへ向かった。途中、とある町のとある市場の前で渋滞になった。しかし、日本の渋滞とは比べものにはならなか
った

 走ること1時間半、ミニバスは、メルソンクリークの町へ着いた。ほとんどの人がここで降り、運転手もしばしの休
憩を取った。エクスチェンジの声をかける人など、国境が近いことをうかがわせた。

 そして、ミニバスは港へ向かって出発した。港はすぐにあったが、そのまま通過した。おそらく、地元の人たちの船
がおいてある漁港だったのだろう。そのうち1本道になった。しばらく走ると、国境のフェリー乗り場へと到着した。
駐車場と建物があるだけ・・・国境を渡る人はそこそこいたが、予想したイメージとは全然ちがった。ミニバス代15
00ガイアナドル、荷物代500ガイアナドルを払ってミニバスと別れた。
 まず、チケット売り場へ行った。10アメリカドルであった。出国の紙への記入をして出国スタンプを押してもらっ
た。しかし、船はまだ来ていなかった。おそらく、スリナムから船がやってくるのであろう。予想したとおり、しばら
く待つとフェリーがやってきた。

 乗客もしだいに集まり、いよいよ11時になったが、乗船はまだであった。免税店らしきものもあったが、シャッタ
ーは閉まっていた。さび具合から見て、開くことはあるのだろうか。待つこと30分、ようやく乗船が始まった。車も
乗せることができるが、ほんとうに最低限の設備しかないフェリーであった。
 全員が乗り終わると、船は出発した。川の水は濁っている。しかし、おだやかな流れで、揺れることはなかった。周
りはジャングルのようで、集落などは見られなかった。これなら1日1本のフェリーで十分、というより、元は取れる
のだろうかとも思った。20分ほどすると、対岸が見えてきた。スリナムである。
 
船は、静かにスリナム側の港へ着こうとしている。ここでふと、入国は時間がかかるのでは?考えた。この船のため
だけの国境なのだから、職員の数は少ないのではないだろうか。リュックを背負い、船の扉が開くと同時にダッシュし
た。すると、思ったとおり、たくさんの乗客がいっせいにダッシュしたのである。でも、走るのは負けないつもりでい
る。全力疾走で、なんとか3・4番目に入国ブースへ着くことができた。ブースの数は少なく、たったの2箇所。とい
うことで、待たずにスリナムへ入国することができた。
 
建物を出ると、ミニバスとマイクロバスが停まっていた。行き先は、パラマリボとなっている。まだ、だれも乗って
いないので交渉する。しかし、「チケットはあるのか?」とか「向こうに乗れ」と言われ、いっこうにバスにはのれな
い。そのうちに入国を済ませた人たちがどんどん建物から出てきてバスに乗り込む。これでは乗れないのではないか。
そういう不安が、頭の中をよぎった。
 その時である。乗用車の人が声をかけてくれた。「パラマリボまで行くよ。」と。「値段は?」と聞くと、「20ド
ル」。この国境越えは、値段にはこだわっていなかったので、乗せてもらうことにした。こうして、スリナム側の港を
出発することができた。
 道はというと、ダートコース。熱帯特有の赤土であった。土けむりをたてながら車は走る。やっとアスファルトの道
へ出ると、車はパラマリボへ向けて快走を始めた。
この近くには、「ニューニッケリー」という町があるが、そこには
寄らなかった。ちなみに、ニューニッケリーからパラマリボまでは4時間という。もし、スリナムからガイアナへ向か
うとすれば、パラマリボを早朝に出発しても、船に乗るのは難しいのではないかと思った。逆ルートをとったときは、
このニューニッケリーで1泊しないといけなかっただろう。
 
スリナムは、ガイアナと1時間の時差がある。スリナムへ入り、車に乗ったときは、もう14時を過ぎていた。この
調子なら、パラマリボへ着くのは夕方になるだろう。それから宿を探すことはできるだろうか。それが最後の不安であ
った。
 車は道なりに走り続けた。小さな村をいくつか通り抜け、郊外は時速100キロメートルで走った。そのうちに、少
しずつ車の数が増え始めた。もうすぐパラマリボへ着くのだろう。予想はあたり、無事にパラマリボへ着くことができ
たのである。
 
この国境の旅は、これまでの国境越えの中で、いちばん印象の残るものとなった。結果オーライであるが、情報の少
少なさ、不安などたくさんの困難はあった。しかし、たくさんの方々の助けやアドバイスにより、国境越えができたと
いうことはいうまでもない。

 (追記)ガイドブックに乗っていたホステルへ行ったが、何もなし・・・聞くと火事で焼けたとのとのこと。その後
1つ目のホステルは満室、次のホステルは部屋があり無事に宿泊はできたが、驚くべきできごとであった。