1日目・・・
 バンコクからコルカタ経由で入国した。
 飛行機はこの日からバンコク発5時50分のだったのだが、
航空会社の人は昨日のスケジュールのつもりでカウンターを
開けたようで大変だった。結局1時間遅れでバンコクを出発し
た。
 機内はほぼ満員だった。コルカタからまた乗ってきて飛行機
はブータンへ向かった。
「パロ」の空港は谷間にあって難易度の高い空港だといわれ
ている。飛行機は谷間の地形に合わせるように飛んで無事着
陸した。
 入国はいたって簡単だった。入国するとガイドさんが迎えに
来ていた。
 お金を両替するのに時間がかかったが、通貨「ニュルタム」
を手に入れていよいよ出発した。
 風景は昔の日本の田舎を想いおこすような感じでのんびりし
ていた。車はパロの町へ向かわず国道を走って首都「ティンプ
ー」へ向かった。主要国道だけど道路状況は悪かった。舗装し
てない部分もあった。
 約50kmの道のりを2時間かけて走りようやく「ティンプー」へ到着した。
 そして、昼食をとった。ブータン料理といえば「辛い」ことで有名である。さっそく食べたけどやはり辛かった。
 それでもお腹いっぱいになり、ティンプーの町の観光を始めた。
 まず週末のみ行われる青空市場へ行った。野菜や果物が並んでいた。りんごとゼンマイはブータンでたくさん取れといわれていた。
 次に行ったのは「メモリアル・チョルテン」である。チョルテンとはお寺みたいなところだと考えればいいと思う。工事をしていたから入りにくかったけど立派なチョルテンだった。
 その次に「ドゥプトク尼僧院」へ連れて行ってもらった。小さな尼僧院だった。
 最後に行ったのは「タシチョ・ゾン」である。「ゾン」とはブータンの役所にあたるそうである。でも修行僧も滞在していて、修行の場でもある。ヨーロッパだったら観光客でにぎやかなのだろうけれど、ここはブータン・・・人も少なく静かだった。
 そしてティンプーのホテルにチェックインした。泊まったのは「ドウックシェリングホテル」というホテルだった。木造つくりのきれいなホテルだった。しかもこの日の宿泊は独りだけだった。
 夕食の前にティンプーの街を散歩した。外国人の一人歩きの規制などはなかった。
 夕食も独り分だけだった。
 夜はけっこう冷えて寒かった。
 こうしてブータンの1日目は終わった。

2日目・・・
 朝はとてもいい天気だった。
 独りで朝食を食べて8時過ぎにホテルを出発した。この日は峠を越えて「プナカ」というところまで行くのである。
 ティンプーを出るとすぐに山道に入った。道はけっこうくねくねしているけど、途中に集落があったり小さなほこらのようなもの(この中に「マニ車」があって水の力で回っている。)があったりした。
 そうしてやっと「ドチュラ峠」へ着いた。標高は3200mだから空気が薄い感じがした。周りは霧がかかってほとんど見えなかった。
 峠の山小屋で少し休憩した。ここは世界中の旅行社と提携しているみたいでたくさんの旅行社のシールが貼ってあった。もちろんぼくが申し込んだ旅行社やそれ以外の日本の旅行社のシールも貼ってあった。飲み物はミルクティーが中心だった。やはり、もともとイギリス領だったし紅茶がたくさん取れる気候なのであろう。
 ドチュラ峠を出発すると今度は下り坂が延々と続いた。
 1時間以上走ってようやく広い盆地に出た。この盆地をしばらく走ってようやく「プナカ」に着いた。
「プナカゾン」はとても大きかった。プナカはティンプーよりも暖かいので、国王は冬の間はプナカゾンで生活するようである。建物の造りは木造で中に入ると落ち着いた感じがした。でも、木造の建物だから消火器もたくさん置いてあった。ゾンからの眺めもとてもよかった。
 プナカゾンを出発して、来た道を戻り途中から別の道に入ってしばらく走った。
 そうすると山の上に大きな建物が見え始め、「ワンデュボタン」の町に着いた。
 ワンデュボタンは小さな町だったよ。ここからさらに奥地に道は伸びているし、交通の要所といった感じであった。だから街中にもたくさんの人がいた。昼食はこの町でとった。少しずつだけどブータン料理の辛さにも慣れてきた。
 日本人の女性が2人で旅をしていたのには驚いた。
 しばらくワンデュボタンの街中をのんびり歩いて過ごした。
 そして、ティンプーに戻った。
 この日のホテルは昨日と違って満室だった。ヨーロッパからの観光客が来ていたからである。
 夕食までの間ティンプーの街中をたくさん歩いた。新しいホテルが建ち始めていた。これからもっと観光客を受け入れるのであろう。インターネットカフェも見つけた。日本語の文字も見ることができた。
 夕食は別のホテルのレストランでインド料理を食べた。けっこうおいしかった。
 そして、ホテルに戻って2日目を終了した。

3日目・・・
 この日は「パロ」へ向かう日である。
 ティンプー最後の朝なのでまた街歩きをした。バスターミナルの方へ行ってみたり昨日歩いていないところを散歩したりした。たくさんの子どもたちが学校へ登校していた。ブータンの教育はけっこう進んでいるのがわかった。
 それとアーチェリーをしている人が多かった。そういえば、ぼくのガイドもアーチェリーのブータン代表だったと言っていた。ガイドは、少しひょうきんで軽そうな感じであったが、ぼくにとっては悪くはなかった。
 朝食をヨーロッパの人たちと食べた後ホテルをチェックアウトした。
 午前中は「美術学校」へ行った。木工細工、アート、仏像、織物などなどの授業をしていた。生徒たちはとても熱心に授業を受けていた。先生は座っているだけで、生徒は自分で作業をしてわからないところを聞きに行くといった感じだった。日本とはまったく逆だけどこういう教育もいいと思った。座っている先生が「ぼーっ」としているわけでもなかったし、子どもたちの自主性が育つ感じがした。
 そのあと土産屋へ行ったよ。品物は美術学校の生徒が作ったものである。少しだけ買って、次は紙を作っているところへ行った。
 乾かすところは鉄板を使っていたけど、すべて手作業で紙を作っていた。花なども入れて紙にしているものもあった。
 そのうちにお昼になったので昼食を食べた。観光客のために辛さはおさえているようだが、ブータン料理にも慣れてきた。
 昼食のあと「パロ」に向かった。しかし、離合ができずしばらく立ち往生してしまった。しかも工事で道が閉鎖される時間も迫っていた。急いで車を飛ばしてギリギリ(たぶん時間は過ぎていたと思う・・・)で工事現場を通過して、ようやく「パロ」の町へ着いた。
 最初に「ダショー西岡顕彰チョルテン」へ行った。この方はブータンに来て農業技術を伝えたり農作物の作り方を教えたりしたそうである。チョルテンを作ってもらうくらいブータンで貢献したということであろう。
 次に「国立博物館」へ行った。ここは8(6)角形の形をしていてブータンのことがいろいろわかった。写真が撮れないのが残念だけどとてもよかった。
 このあとパロの街を少し散策した。市場などは日が違ってやっていなかった。そこで、メインストリートをのんびり歩いた。
 最後に「キチュ・ラカン」という最古のお寺へ行った。小さなお寺でけどたくさんの人が来ていた。
 そして、ホテルにチェックインしたよ。泊まったところは「ジワ・リン」ホテルといって最近できた高級ホテルだった。ロビーと部屋は別々の建物になっていた。部屋の方は木造のしっくりした感じだった。バスルームは床暖房になっていた。
 夕食はフランス料理だった。ちなみに飲み物以外は全部ツアー代金に入っているのがブータン旅行の特長である。
 こうして長い3日目が終わった。

4日目
 この日はいよいよ「タクツァン」寺院へ行く日である。
 最初に「ドウゲゾン」というところへ行った。アスファルトの道はここで終わりなのだが、ここからチベットへ向けて道は続くのである。ここから雪をかぶったヒマラヤの山が見えたのは感動的だった。
 ドウゲゾンを見た後はいよいよ「タクツァン寺院」へ出発した。タクツァン寺院は山の中腹の崖のような場所に立つお寺である。
片道3時間かけて登るのである。
 最初は涼しさもあって順調に登っていたが、どんどん暑くなってきてバテてきた。でも、眺めはよくなってくるからがんばって登った。
 途中で山小屋があって、休憩したり食事をしたりもした。
 もし登るのが大変だったらロバに乗って登れるようになっていた。
 値段もそんなに高くなかったが、ぼくは最後まで歩いた。
 ようやくタクツァン寺院へ着いた。入り口から先は写真が撮れない。それくらい神聖な場所だということなのであろう。
 中では僧侶が修行していた。ここまで来て修行できるというのはとても価値があるのであろう。それから、ここを目指す参拝者もたくさんいた。その人たちにとってもここまで来るのはとても意義があるのであろう。
 修行の様子を見た後はまた3時間かけて山を降りた。途中の山小屋で食事をしてまた登山口まで戻った。
 そのあとパロの町へ出て「パロ・ゾン」を見学した。ティンプーやプナカのゾンに見劣りしないくらい立派なゾンだった。周辺では明日からの祭りの準備をしていた。明日帰らないといけないのが残念だがしかたがなかった。
 これでブータンの観光は全部終わった。
 もう一度パロの街をのんびり歩いてホテルへ戻った。
 そして、ブータン最後の夜をむかえた。夜はけっこう冷えるけど空にはたくさんの星が瞬いていた。

5日目・・・
 最終日は空港へ向かうだけである。
 朝食を食べてガイドさんが迎えにくるまで待って出発した。
 途中で寄り道をしたかったが時間はなかった。パロの町を通過してそのまま空港へ着いた。
 まずチェックインをした。そのあと空港の入り口に戻ると、まだガイドさんがいたから少し話をして別れた。
 飛行機が飛んでくるまでラウンジで過ごした。でもコンデンサーが置いてあったので、電力事情はあまりよくないのであろう。
 のんびり過ごしているうちに飛行機がバンコクから飛んできた。定刻に飛んできたから出発も定刻だった。
 離陸すると谷間に沿って上昇していった。そしてある程度の高さになったらダッカの方へ進路をとって飛んだいった。乗客は半分も乗っていなかった。今日からパロの祭りが始まるからそれが終わって帰るのであろう。
 ダッカについて5人ほど降りたが、乗ってくる人はいなくてすぐに出発した。だからバンコクには定刻よりも30分以上早く到着した。
 ブータンを旅行してよかった。1日につき200ドルを払わないといけないし、これからこの値段は上がるといわれているが、このお金は国民のために使っているようである。
これからも発展していくと思った。

ブ       ー       タ       ン

 

 2000年前までは半鎖国政策をとっていたブータン。それでも、最近は観光客を入れようとしている。ただ、1日につき200ドル(当時)を払わないといけないのでツアーの値段は高くなる。それでも、のどかな風景や気さくな人柄・・・昔の日本を思い出す人もいるかもしれない。ぜひ、行っていただきたい国の一つである。日本の旅行社でツアーを扱っている。